多様性を受け入れないのも多様性じゃね?
少数派を受け入れ誰もが生きやすい社会を目指す。そのことに全く異論はない。でもどこかモヤモヤした自分がいる。だから本屋に平積みされたこの本がずっと気になっていた。
「読む前の自分には戻れない」
帯に書かれたこの一言に後押しされ電子書籍をポチった。
いやー、すごい!ホントに戻れない。
冒頭に書かれたある事件の記事。
読了後に読み返すと最初に抱いた感情とはビックリするほど変わった自分がいる。
「僕はなにも知らずに正義を語っている」
読み終わった瞬間、ここで終わるのはズルいと思った。重い鉛を無理やり体内にねじ込まれた感覚が残る。この鉛をどう処理すればいいのか分からない。
今まで知ることがなかった視点を見せられ、それでもなお多様性を受け入れられるのか。自分の思っている多様性が、いかに薄っぺらいものか。「受け入れてあげますよ」というマジョリティの傲慢さ。
答えの出ない問いを体内に宿した感覚。
たしかに読む前の自分には戻れない。
11月に映画が公開される。
この世界観をどう表現するのだろうか?
読むと映画を観たくなる一冊です。
映画公式サイト
ここから先は備忘録として書いています。
ネタバレを含みますので、本を楽しみたい方は読まないでくださいね。
主な登場人物
寺井啓喜(てらいよしき)
社会正義の象徴である横浜地検の検事。妻の由美(ゆみ)と息子の泰希(たいき)の3人で横浜の一戸建てに暮している。有名私立小学校に入学したものの不登校になった息子。なんとかして学校に通わせたいと思っているが「もう学校は必要のない時代」とのたまう「ゆたぽん」のようなユーチューバーに息子は感化されてしまう。
桐生夏月(きりゅうなつき)
岡山駅直結のイオンモールで寝具店の販売員をしている。そこから車で20分ほどの実家で両親と3人暮らし。誰にも言えない秘密を抱え誰とも関わらず生きてきた。だが中学の同窓会で佐々木佳道(ささきよしみち)と再会し、いろんな歯車が動きだす。
神戸八重子(かんべやえこ)
金沢八景大学の学生で学園祭の実行委員。実家で両親と引きこもりの兄と暮している。容姿にコンプレックスがあり今まで異性と付き合ったことがない。同じ大学に通う諸橋大也(もろはしだいや)に初めての感情を抱くが…。
あらすじ
元号が平成から令和に変わる1年前から物語がはじまる。
自分の正義を信じて疑わない検事。
誰にも言えない秘密を抱える女。
多様性を受け入れ誰もが生きやすい社会を純粋に夢見る大学生。
なんの関りもない3つの日常がある性癖を通して少しづつ繋がり、ある事件が起きてしまう。
普通に生きていれば踏み外すことがない社会正義。生まれながらに持ち合わせ自分ではどうしようもない性癖。多様性といいつつも受け入れられないものは排除する多数派。
誰も間違ってはない。
だが交わることがない価値観。
多様性という言葉で括られる「生き方」「性別」「価値観」「性癖」。少数派を受け入れ生きやすい社会を目指しましょうという風潮。でも多様性には自分の想像すら及ばないことがある。それを知ってなお、簡単に受け入れることができますか?
さまざまな視点を見せつけられ、自分の無知と傲慢さを思い知らされる。世界には自分の想像すら及ばないことがたくさんあること。何も知らないくせに自分は正しいと思っていること。多数派でいることに安心して思考停止していること。
自分の奥底にある本質。
それによって感じ方が変わる本だ。
参考レビュー
「僕は正しい」と言えなくなった
佳道の上司である田吉(たよし)が啓喜に言ったこと。それは僕の頭の中とまぎれもなく同じだった。でもその姿は不快でしかなかったんだよなぁ。
「なにも知らないくせに」
その言葉が僕の頭の中でうず巻いていた。
啓喜も僕と同じだ。
彼の社会正義は正しい。
でもそれは、多数派であることに安心した思考停止の常識だと思い知らされる。
自分の正しさは無知の上に成り立つ小さな主観でしかない。そのことをまざまざと思い知らされる。
「正しい性」とは何か?
みんな分からないから不安なんだ。
だから確かめ合う。
だから知りたがる。
だから異物を排除する。
多様性を否定するのも多様性。
これもまた「正しさ」である。
新たな「正しさ」が新たな「正しくなさ」を生み出す無限のループ。答えの出ない問いを体内に宿してしまった。
この抽象的で読み手によって「感じ方」が変わる内容が映像化される。
「大也と八重子の罵りあい」
「由美の涙」
「夏月のドンと落ちてきて」
「顔面の肉が重力に負けていく」
映画でどう表現されるのか楽しみで仕方がない。
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